東京高等裁判所 平成12年(行ケ)33号 判決 2000年11月09日
原告
株式会社松永製作所
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁理士
【B】
同弁護士
後藤昌弘
被告
【C】
訴訟代理人弁護士
乾てい子
同弁理士
【D】
同
【E】
主文
特許庁が平成10年審判第35595号事件について平成11年12月7日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨
2 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
被告は、考案の名称を「車椅子」とする実用新案登録第1998386号考案(平成2年6月28日実用新案登録出願、平成5年12月22日実用新案権設定登録、以下「本件考案」という。)の実用新案権者である。被告は、平成10年7月8日、本件考案に係る明細書及び図面(以下、これらをまとめて「本件明細書」という。)の訂正(以下「本件訂正」という。)をすることについて審判を請求し、同年12月9日、これが認められた。
原告は、同年11月27日、本件考案に係る実用新案登録を無効にすることについて審判を請求し、特許庁は、この請求を平成10年審判第35595号事件として審理した結果、平成11年12月7日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本を同月27日に原告に送達した。
2 実用新案登録請求の範囲(別紙図面参照)
(1) 本件訂正前(以下、この考案を「登録時考案」という。)
座部の両側にアームレストを水平使用状態より上方へ回動可能に取付けた構成であって、該アームレストは遮板が張設されているコの字形フレームからなり、該フレームの後下端部が車椅子本体に枢着されており、水平使用状態では前下端部は車椅子本体にロック可能に支持されていることを特徴とする車椅子。
(2) 本件訂正後(以下、この考案を「訂正考案」という。下線が付された部分が登録時考案との相違である。)
座部の両側にアームレストを水平使用状態より上方へ回動可能に取付けた構成であって、該アームレストは遮板が張設されているコの字形のフレームからなり、該フレームの後下端部が車椅子本体に枢着されており、水平使用状態では前下端部は、孔と該孔に挿入する係合ボルトとによる係止手段によって、車椅子本体にロック可能に支持されていることを特徴とする車椅子。
3 審決の理由
別紙審決書の理由の写しのとおり、①本件訂正は、実用新案法39条1項(平成5年法律第26号附則4条2項の規定により読み替えられたもの。以下、同法37条1項、39条3項についても同じ。)ただし書の規定に該当しないから、本件考案に係る実用新案登録は、同法37条1項2号の2により無効とすべきである(第1の無効理由)、②訂正考案は、米国特許第4840390号明細書(以下「引用例」という。)に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたものである(第2の無効理由)、③訂正考案は、実公昭52-43644号公報、実公平3-47617号公報及び引用例に基づいて、当業者がきわめて容易に考案をすることができたものである(第3の無効理由)、との原告の主張を、いずれも、認められないものとした。
第3原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由1(手続の経緯および本件考案)ないし4(甲号各証の記載)は認める。同5(当審の判断)は、11頁3行~13頁11行及び17頁4行~19頁14行を認め、その余を争う。同6(むすび)は争う。
審決は、第1の無効理由に関し、訂正考案における実用新案登録請求の範囲の記載の不備を看過し(取消事由1)、第1の無効理由に関し、新規事項の追加を看過し(取消事由2)、第2及び第3の無効理由に関し、相違点の判断を誤った(取消事由3)ものであって、これらの誤りが結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、違法として取り消されるべきである。
1 取消事由1(訂正考案における実用新案登録請求の範囲の記載の不備の看過)
審決は、本件訂正について、「実用新案登録請求の範囲の減縮を目的とするものであり、構成は明瞭である」(13頁末行~14頁2行)、「訂正後における実用新案登録請求の範囲に記載されている事項により特定される考案は・・・出願の際独立して実用新案登録を受けることができる」(15頁5行~9行)と認定したが、誤りである。
本件考案は「嵌着溝」を必須の構成とするものである。ところが、本件訂正後の実用新案登録請求の範囲には「嵌着溝」の記載がない。
このために、実用新案登録請求の範囲と考案の詳細な説明の記載に不整合が生じ、明瞭でない記載となっているから、本件訂正は、実用新案法39条1項各号に掲げる事項を目的とするものに該当せず、同条の規定に違反する。
また、このために、実用新案登録請求の範囲は、考案の構成に欠くことができない事項が記載されていないから、本件訂正は、独立実用新案登録要件を欠き、実用新案法39条3項の規定に違反する。
2 取消事由2(新規事項追加の看過)
審決は、本件訂正について、「願書に添付した明細書または図面に記載された事項の範囲内の訂正」(15頁1行~2行)であると認定したが、誤りである。
(1) 本件訂正前の願書に添付した明細書及び図面(以下、これらをまとめて「登録時明細書」という。)には、「挿入」という文言は一切ない。
登録時明細書中には、「更にロック片9Gのロック孔9Hが該係合ボルト18に係合しているので、アームレスト9は確実に車椅子1本体に固定され」(甲第2号証4欄5行~7行)、「アームレスト9を撤去状態にするには該ロック片9Gを外側に指で開いてロック孔9Hから係合ボルト18をはずしてから、」(同欄10行~12行)、及び「それから該ロック片9Gはスプリング9Iの付勢力によって内側へ戻され、該ロック片9Gのロック孔9Hに該係合ボルト18が係合する。」(同欄28行~31行)と記載されており、「ロック孔」と「係合ボルト」の関係は、あらかじめ固定された係合ボルトに対してロック孔が移動しつつ係合されるとしか解釈できない。この点は、登録時明細書の第4図からも明らかである。
一方、「挿入」とは、さし入れること、さしこむことを意味し、例えば、ボルト孔にボルトを挿入するという表現、つまり、孔に対して何かを差し入れるという場合に使用される文言であるから、「あらかじめ固定された係合ボルトに対してロック孔が移動しつつ係合される」という概念とは全く相違する。
(2) 本件訂正において付加された「挿入」という文言は、「係合」以外の技術的事項を含むものであって、「係合」との記載からは一義的に明確に導き出されるものではない。
したがって、本件訂正は、登録時明細書に記載された事項の範囲内ではないから、実用新案法39条1項ただし書の規定に違反するものである。
3 取消事由3(相違点についての判断の誤り)
審決は、引用例には、「本件考案の特徴であるアームレストを手で掴んで車椅子を持ち上げることができるようにするという課題は何ら記載されていないところ、単に『孔と係合ボルト』による係合手段があったとしても、甲第3号証の1(判決注・引用例を指す。)に記載の車椅子におけるスプリング戻りバネを係合ボルトに代えて、本件考案のようにすることは、当業者といえどもきわめて容易に想到できるものではない。」(20頁17行~21頁5行)と判断したが、誤りである。
(1) 車椅子を階段等から降ろす場合に、アームレストを手がかりとして車椅子を持ち上げたりすることは、車椅子の通常の使用態様である。
引用例における第2スプリング戻り爪の材質は特に限定されていないが、アームレストを手がかりとして車椅子を持ち上げるという点は当然配慮されているから、引用例の「孔と該孔に挿入される第2スプリング戻り爪」であってもアームレストを手がかりに車椅子を持ち上げるという機能を果たしていることは、当業者ならばきわめて容易に推認し得ることである。
(2) 出願時の明細書及び図面には、審決が認定した「アームレスト(9)の水平使用状態で、・・・アームレスト(9)を手で掴んで車椅子(1)を持ち上げることも出来る。」(審決書21頁7行~13行)、「使用状態では、・・・アームレスト(9)を手がかりとして車椅子(1)を持ち上げることができる。」(審決書23頁19行~24頁7行)という作用効果は記載されていない。つまり、これらの作用効果は、単なる効果の確認又は追加にすぎないのであって、引用例の第2スプリング戻り爪を、訂正考案の係合ボルトに置換したところで、実現される作用効果は何ら本質的に変わりのないものである。
それ故、引用例記載の発明の「孔と該孔に挿入するスプリング部材とからなる係止手段」と、訂正考案の「孔と該孔に挿入する係合ボルト」とは実質的に同一の技術的課題を解決し、作用効果を奏するものであって、第2スプリング戻り爪を係合ボルトに置換することは単なる材料の置換にすぎず、当業者であればきわめて容易に想到し得たものである。
第4被告の反論の要点
1 取消事由1(訂正考案における実用新案登録請求の範囲の記載の不備)について
アームレスト(9)の前下端部(9)Dを車椅子(1)本体の前側フレーム(4)に係止させるという目的を達成するためには、孔と該孔に挿入する係合ボルトとによる係止手段を備えればよく、「嵌着溝(9)E」は不要である。したがって、訂正考案は「嵌着溝」を必須の構成とするものではなく、実用新案登録請求の範囲の記載に不備はない。
2 取消事由2(新規事項追加の看過)について
(1) 登録時明細書には、アームレスト(9)を使用状態から撤去状態にするときの説明として、「ロック片9Gのロック孔9Hが該係合ボルト18に係合しているので、・・・該ロック片9Gを外側に指で開いてロック孔9Hから係合ボルト18をはずしてから、」(甲第2号証2頁4欄5行~12行)と、アームレスト(9)を撤去状態から使用状態に戻すときの説明として、「・・・該係合ボルト18は該フレーム9Aの前下端部9Dの嵌着溝9Eに嵌着し、それから該ロック片9Gはスプリング9Iの付勢力によって内側に戻され、該ロック片9Gのロック孔9Hに該係合ボルト18が係合する。」(同欄26行~31行)とそれぞれ記載され、第4図には、係合ボルト(18)と前記ロック片(9)Gにおけるロック孔(9)Hとの相対的な位置関係が分解図として示されており、第1図、第3図には係合ボルト(18)とロック孔(9)Hとが係合している状態が示されている。これらの記載及び図示によれば、ロック孔(9)Hと係合ボルト(18)との関係が、「孔(ロック孔(9)H)と該孔に挿入されるボルト(係合ボルト(18))」と表現される関係にあることは明らかであって、これは、登録時明細書及び図面の記載から直接的かつ一義的に導き出せるものである。
(2) 「挿入」が「係合」と同意であることは、登録時明細書の第4図からも明らかであり、また、特開平5-111444号公報(以下「乙第1号証刊行物」という。)、及び特開平8-268127号公報(以下「乙第2号証刊行物」という。)でも、棒部材(ピン)を孔に挿入することを「係合」と呼んでいる。
(3) 原告は、「ロック孔」と「係合ボルト」の関係について、「あらかじめ固定された係合ボルトに対してロック孔が移動しつつ係合されるとしか解釈できない。」と主張する。しかし、「ロック孔」と「係合ボルト」の関係は、「孔と該孔に挿入されるボルト」の関係、すなわち、係止手段としての「孔」と「ボルト」の形としての相互の関係を規定するにすぎず、係止に至るまでの両者の移動の態様までを規定しているものでない。原告の解釈は不当である。
3 取消事由3(相違点についての判断の誤り)について
(1) 訂正考案において、車椅子本体の前側フレームに対するアームレストの固定は、本質的に、「孔」と「該孔に挿入する係合ボルト」との係合によりもたらされるものであり、アームレストを手がかりとして車椅子を安定して持ち上げることができるかどうかは、前記係合ボルトと孔との係合態様の安定性に本質的に依存する。訂正考案においては、いったん係合状態が完成すると、通常の使用状態では、すなわち、予定した設計値を大きく超えた負荷がかかることにより、係合ボルトが塑性変形するとか、孔が破壊されるとかの場合を除き、係合状態が不測に解除されることはなく、アームレストを手がかりとした状態で車椅子を安定して持ち上げることが可能である。
一方、引用例記載の車椅子における係合は、車椅子本体側である第2搭載ブラケット174の開口部178(本件考案での「孔」に相当する)と、アーム支持部材160(本件考案でのアームレストに相当する)の一端に挿入した逆U字状の第2スプリング戻り爪176(横方向に突き出た水平部を持つ突起部が形成されている。)、とによりなされるものであり、前記突起部が前記開口部178に入り込み、その水平部が開口部178の上側のエッジに面した状態となることにより、係合の態様が完成する。この係合態様において、アーム支持部材160を上方に引き上げると、開口部178の上側のエッジと突起部の前記水平部とが衝接し、その衝接により、水平部には突起部全体を下側に押し下げようとする力が作用する。第2スプリング戻り爪176は全体がバネ材により作られており、かつ、前記ボタン180で押圧することにより容易に変形して離脱するように設計されていることから、第2スプリング戻り爪176の前記突起部を下側に押し下げようとする力に対する耐性は小さく、前記水平部に作用する力により、第2スプリング戻り爪176は、突起部が内側に入り込む方向に容易に変位する。その結果、ある程度以上の大きさの力がアーム支持部材160に作用すると、ボタン180を押圧することなく、係合状態は解除される。その力は、係合ボルトのような材料を塑性変形させる力よりも当然に小さいことは、技術常識である。
以上のように、現実的な車椅子の設計仕様において、前記引用例に記載される係合態様と訂正考案による係合態様とでは、係合が不測に解除されるときの力の大きさに大きな差があることは明らかであり、両者の間には「車椅子持ち上げ時の不測の負荷(方向性と大きさの双方)に対する安定性」に関して格段の相違が存在する。
したがって、引用例記載の考案の第2スプリング戻り爪176を係合ボルトに置換することは、単なる材料の転換などではない。
引用例にアームレストを手で掴んで車椅子を持ち上げることができるようにするという技術的課題が記載されているか否かを論ずるまでもなく、「甲第3号証の1に記載の車椅子におけるスプリング戻りバネを係合ボルトに代えて、本件考案のようにすることは、当業者といえどもきわめて容易に想到できるものではない。」(21頁1~5行)とした審決の判断は正当である。
(2) 「アームレスト(9)の水平使用状態で、・・・アームレスト(9)を手で掴んで車椅子(1)を持ち上げることも出来る。」(審決書21頁7~13行)、「使用状態では、・・・アームレスト(9)を手がかりとして車椅子(1)を持ち上げることができる。」との効果は、当初明細書の「孔(ロック孔(9)H)と該孔に挿入されるボルト(係合ボルト(18))」の構成から、当業者の技術常識としてきわめて容易に推論できる効果である。この効果に基づいて、訂正考案と引用例記載の考案とを対比し、訂正考案を進歩性ありとした審決の判断に誤りはない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由2(新規事項追加の看過)について
(1) 甲第4号証(新村出編「広辞苑」(株式会社岩波書店昭和57年10月15日第2版補訂版第7刷発行)によれば、「挿入」とは「さし入れること。さしこむこと。」という意味であることが認められる。しかし、固定した孔に、係合ボルトを移動させて挿入する場合に限らず、孔を移動させることにより固定した係合ボルトを孔に挿入する場合も、係合ボルトは孔にさし入れたことになることは明らかである。
そうすると、訂正考案の「孔と該孔に挿入する係合ボルトとによる係止手段」には、固定された孔に対して係合ボルトが移動して挿入する係合形態と、固定された係合ボルトに対して孔が移動して挿入する係合形態の双方が含まれるものというべきである。
また、ボルトは、金属丸棒の一部にねじを切ったものであって、ナット等とともにねじにより物品を係合することが多いことは明らかである。そうすると、上記「孔と該孔に挿入する係合ボルトとによる係止手段」には、ねじによる係合形態も含まれるものと解される。
(2) 甲第2号証(本件公告公報)によれば、登録時明細書には「挿入」の文言は記載されておらず、唯一の実施例として、「ロック片9Hが該係合ボルト18に係合している・・・アームレスト9を撤去状態にするには該ロック片9Gを外側に指で開いてロック孔9Hから係合ボルト18をはずしてから、・・・。アームレスト9を第2図に示す撤去状態から使用状態に戻す時は、・・・ロック片9Gは・・・係合ボルト18によって外側へ押しのけられ、・・・該ロック片9Gはスプリング9Iの付勢力によって内側に戻され、該ロック片9Gのロック孔9Hに該係合ボルト18が係合する。」(2頁4欄5行~31行)として図面が記載されていることが認められる。そうすると、外側又は内側に移動する部材は「ロック片9G」であり、「係合ボルト18」は固定されているものであるから、上記実施例は、固定された係合ボルトに対してロック孔が移動して係合されるという係合形態のものであって、しかも係合及びその解除に際しては、ねじを使用しない係合をしているものと認められる。
登録時明細書に、他の係合形態が記載されているものとは認められない。
(3) そうすると、訂正考案に含まれる係合形態のうち、固定された孔に対して係合ボルトが移動して挿入する係合形態と、ねじによる係合形態は、登録時明細書に記載された事項の範囲内ではないというべきである。
(4) 被告は、「挿入」は「係合」と同じ意味であると主張し、乙第1、第2号証刊行物の記載を指摘する。。
しかし、前示のとおり、登録時明細書に記載されているのは、固定された係合ボルトに対してロック孔が移動して係合されるという係合形態のもののみであるから、仮に、「挿入」と「係合」とが同じ意味であるとしても、登録時明細書に記載されたものは、固定された係合ボルトに対してロック孔が移動して挿入されるという係合形態のもののみであることになるにすぎない。したがって、被告指摘に係る各刊行物の記載は、前記(3)の認定に反するものではない。
(5) 以上のとおりであるから、本件訂正を、願書に添付した明細書または図面に記載された事項の範囲内の訂正であるとした審決の認定判断は誤りというべきである。
2 取消事由3(相違点についての判断の誤り)について
(1) 車椅子に限らず、アームレスト付きの椅子を持ち上げようとする場合には、アームレストを手でつかんで持ち上げようとすることは、ごく常識的なことである。そして、車椅子が、その性質上、人間が座ったままの状態で階段や段差を昇降させる必要がある場合の少なくないものであることも、明らかである。そうである以上、車椅子開発に携わる当業者が、アームレストを手がかりとして持ち上げることができるように車椅子の設計を行おうとすることは、ごく当然のことと認められる。そしてまた、引用例記載の発明の車椅子においても、当然、そのような配慮がなされていると考えるべきである。
したがって、引用例に、アームレストを手でつかんで車椅子を持ち上げることができるようにするという技術的課題が記載されていないとしても、車椅子一般について、この技術的課題が存在しないとか、引用例に接した当業者が、そこに記載された発明の車椅子について、この技術的課題を認識できない、などということはできない。
(2) そうすると、第2の無効理由につき、引用例にアームレストを手でつかんで車椅子を持ち上げることができるようにするという技術的課題が記載されていないことを根拠として、これに接する当業者がこの課題を認識することがないとの前提に立ち、「単に『孔と係合ボルト』による係合手段があったとしても、甲第3号証の1(判決注・引用例を指す。)に記載の車椅子におけるスプリング戻りバネを係合ボルトに代えて、本件考案のようにすることは、当業者といえどもきわめて容易に想到できるものではない。」とした審決の判断は、誤った前提に立つものであるという点において既に誤りである。すなわち、審決は、前記技術的課題があることを前提として、「孔と係合ボルト」による係合手段があるか否か、仮にあるとして、これを引用例記載の発明の車椅子に適用することが技術分野の関連性等の関係できわめて容易か否かを判断しなければならなかったのである。
第3の無効理由についての審決の判断も、当業者が、アームレストを手でつかんで車椅子を持ち上げることができるようにするという技術的課題を認識しないまま、公知文献(実公昭52-43544号公報及び実公平3-47617号公報)に接することを前提にする者であることが明らかであり、これが誤った前提に立つものである点において既に誤りであることは、第2の無効理由についての判断の場合と同様である。
(3) 被告は、車椅子の設計仕様において、引用例記載の発明の車椅子の係合態様と訂正考案の係合態様とでは、係合が不測に解除されるときの力の大きさに大きな差があると主張する。しかし、仮にそうであるとしても、そのことのみをもって、直ちに、引用例記載の発明の車椅子の係合態様を訂正考案の係合態様に変更することが当業者にとってきわめて容易ではなくなるということはできないから、被告の主張する事実は、前記(2)の判断を左右するものではない。
3 以上のとおり、取消事由2、及び、取消事由3の無効理由に係る点について、審決の判断には誤りがあり、この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、その余の点につき論ずるまでもなく、審決は、違法であって取消しを免れないことが明らかである。
第6よって、本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)
<以下省略>